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人類の住まい選び その変遷を考察する

2021年1月19日

数百万年前にアフリカで発生した人類は、これまでどのような住まいで過ごしてきたのでしょうか?変化の激しい今日この頃、一度原点に立ち返って考えてみたいと思います。

数百万年間の狩猟採集=移動住居
 
そもそも人類は長い間、獲物を追い求めて狩猟し、木の実を採集する生活を営んできました。それに伴い住ま
いも基本的に移動式で、食物が無くなれば移動する生活を繰り返していたと考えられています。食料採集=仕事とすると、仕事場が変わるたびに住まいも変わっていたのですね。

 
約1万年からの農耕と約200年間の通勤=定住

農地を耕して作物を栽培するようになり、それまで移動生活だった人類は定住するようになりました。これが約1年前に起こった農業革命で、食料が安定的に採集できるようになったことで世界人口が増え、土地に価値が生じるようになったのもこの頃からです。不動産市場の黎明期とも言えます。

そして約200年前にイギリスで産業革命が起き、それが世界中に広まってからは、働く場所が農地から工場に変わります。これにより農業に適した広い土地があるほど人口が多かった状況が一変し、人々が工場などの勤務先が立地する都市へ集中するようになりました。

ちなみに日本で工業化が進む直前の明治維新直後は、人口一位の県はどこかわかりますか?そうです、米どころの新潟県でした。現在はもちろん、経済の中心と言われる東京都です。このように生活の糧を得る勤務先の変化によって人々の住む場所が大きく変わったんですね。

60~70年代 

第二次世界大戦に敗れた日本は、人口が集中していた都市部の大半が焼け野原になりました。言えという不動産資産を失い、預金封鎖と財産税によって金融資産も国に捧げて文字通り、何もなくなった状態から高度経済成長が始まりました。
「モーレツ社員」などの言葉が流行り仕事中心の人生がもてはやされ、鉄道網やバスなどの公共交通機関の整備と都市郊外に広がっていた山林を切り開き、大規模な宅地開発が行われました。日本全体の人口が増える中、首都圏などの都市部は地方からも急激に人口が流入していました。

こうした人がこぞって買ったのが、郊外の広い庭付き一戸建てです。当時の日本人は物資の乏しい中で生まれ育ったため、大きな家や車などを所有すること自体に大きな憧れや欲求がありました。それを満たすために休みなく働いたと言っても過言ではないから、現在の日本の若い人からは想像がつかないかも知れません。

こうして満員電車で長時間通勤という、首都圏のデフォルトが形成されていきました。これは家族4人の核家族世帯かつ妻が専業主婦という、夫が勤務先のある都心までバスと電車を駆使して往復約3時間の通勤に耐えられる世帯構成であったから成しえたことでもあります。

それにしても、往復3時間を満員電車で通勤していた人生って、どんなだったでしょう?単純に時間計算すると20歳から働いて60歳定年だと3時間/日×20日間/月×12か月×40年=28,800時間です。一日の半分、約12時間を寝たり生命維持活動に充てているとして、残り半分の12時間を起きて行動する時間と仮定します。

12時間/日×365日/年×40年=175,200時間ですから、この数字で28,800時間を割ると16.4%です。なんと20歳から60歳までの2割近い時間を満員電車に乗っている時間も含めた通勤で使っていたことになります。この時間を長いとするか、短いとするかは人それぞれだとは思いますが、すごい数字です。

起きて行動している時間のうち20%を通勤として消費していた人生って、果たして豊かといえるのでしょうか?快適だったらまだしも、私も30代は満員電車で通勤していたので、あの殺人的なラッシュは体験しています。あくまで私の感覚ですが、人としてではなくモノとして詰め込まれて輸送されている感覚でした。

怖いのが一時、その状態になれてしまっている自分に気が付いた時でした。「東京に通勤しているから仕方が無い。」「忍耐することこそ美しい。」という惰性とマゾヒズム的な感覚に近いものがあったように思います。命とは時間そのものですから、いかに自分の大事な人生という時間を浪費していたかと、今では痛感しています。

90年代~2010年代

90年代後半から、この「郊外の広い庭付きの戸建に住んで長時間の満員電車通勤する」スタイルが、都心回帰現象が起きて一気に逆回転を起こします。みながこぞって都心や駅近の物件を求めだしたのです。ではなぜ、「郊外の広い庭付き戸建て」から「都心のマンションやペンシルハウス」といった逆転現象が起きたのでしょうか?

ひとえにこれは日本人の世帯ごとの価値観が大きく違うことが理由ではないでしょうか?戦後のモノの無い時代に地方で育った世代は、広い庭と家、南向きにこだわり車や生活用品なども多いほど豊かさの象徴だったので、日当たりが悪くて狭い都心の住宅よりも、利便性を犠牲にしても広さなどの量を求めました。

私が社団法人住まい選びコンシェルジュ協会を設立してからというもの、政府の働き方改革を推進してテレワーク化した結果、社員や取引先など仕事関係において公共交通機関を利用した移動は極力、控えるワークスタイルとライフスタイルを実現しました。これが少しでも混雑緩和に貢献できれば幸いです。

ちなみに現在、首都圏には約4,000万人近い人が居住しています。これは日本の人口の約3割、世界屈指のメガロポリス(巨大都市)を形成するに至っています。なぜここまで地方から人が集まってきたのでしょうか?それはひとえに都市と地方のさまざまな格差にありました。

高度成長期、都市にはあって地方には無いものというものが数多くありました。高度成長期の初期には電気すらない地方がありましたし、情報なども含めて先進的なものはすべて、都市から地方へと時間差をおいて流れていっていた時代がありました。

私自身、信州という地方で70年~80年代を生まれ育ちましたが、当時もその風潮は根強く残っていたように感じます。「都会は進んでいて何でもある。だから早く都会へ出たい。」若い頃の私は、そうした焦燥感に駆られていたことを思い出しました。

たしかに90年代くらいまでは、新幹線や飛行機などの高速交通網もあまり整備されていなかったので、地方よりも都市に住むことの優位性はあったかもしれません。でも飛行機や新幹線で日本のほとんどの地域から1~2時間で東京にアクセスできる時代に、果たしてどれほど東京に住む理由があるでしょうか?

インターネットが普及した現在、日本の大半の場所でネットを通じて世界と繋がれます。以前のように都会にはあって地方には無いものというのを挙げるのが難しい状況になっています。逆に都会はコロナがきっかけとなって、地方には無いリスクが増えてしまいました。それは人が過密であるという衛生リスクです。

よく考えればこの衛生リスクというのは、コロナ前から都市ではありました。特に満員電車などは感染症リスクが高く極めて不衛生な環境でしたから、実は今に始まったことではありません。以前からあったリスクが顕在化したのが、今回のコロナ騒動といえるのではないでしょうか。

都会でも地方でも、そこに住んでいることで得られる利益と損失があると思います。高度成長期からバブル崩壊までは都会に住めば利益が多く、損失は少なかったのかもしれません。でも飛行機や新幹線、そして高速道路などの高速交通網やwi-fiなどの通信環境が全国を網羅するようになり、さらにテレワーク化が加速し始めた現在、果たしてどれほどの利益が都市に住むことにあるのでしょうか?

時間の有限性

結局、人生とは時間そのものです。「残された時間をどう生きるか」こそ一番、大切なことではないでしょうか?私も含めて現代人は平均寿命という、何ら実体の無いものに束縛されているように思います。「老後が心配」という声が多く聞かれますが、ともすると明日、事故か急病でこの世を去るかもしれません。

そうなれば心配していた老後など、存在しないことになりますね笑

あなたはこの人生でいちばん大切な時間=命を「どこで」「誰と」「どのように」過ごしますか?

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